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高松高等裁判所 平成2年(お)1号 判決

主文

本件公訴事実のうち、被告人が昭和二一年八月二一日D方邸内に侵入し同人を射殺したとの点については、被告人は無罪。

高松高等裁判所が昭和二三年一一月九日言い渡した確定判決中各建造物侵入及び各窃盗並びに各銃砲等所持禁止令違反の罪につき、被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

昭和二四年四月二八日(右確定判決の確定日)から三年間右刑の執行を猶予する。

理由

第一  公訴事実

本件公訴事実は、

被告人は、

一1  B、Y、Wと共謀の上、昭和二一年五月一五日午後一〇時頃、高松市朝日町高松地方専売局(以下「高松専売局」という。)に侵入し、その製品木箱詰工場において、同局保管の金鵄煙草三万二四〇〇本入り木箱一箱を窃取し

2  B、W、C’、F’と共謀の上、同年八月一八日午後一一時頃、同市松島町岩瀬煉乳高松工場において、G所有の煉乳一斗入り缶四缶を窃取し

二1  Bと共謀の上、窃盗の目的で、同年八月二一日午前二時頃、香川県仲多度郡榎井村(現在琴平町榎井)字六條D方の表門の閂を外して邸内に侵入し

2  そのとき、同家前道路を通る人の足音が聞こえたので、母家西側の納屋の庇あたりに蹲んでかくれたが、夜回りの注意に門を閉めに出た右Dが被告人らを発見して鍬を振りかむり迫つて来たので、咄嗟に同人を殺して逃げるほかないと決意し、同家表庭において、所携の拳銃で同人を狙撃し、その心臓部を射抜いてその場に即死させ

三  B、Y、W、C’、G’と共謀の上、煙草窃取の目的で、同年八月二八日午後九時過ぎ頃、高松専売局の裏側土塀を乗り越えてその構内に侵入し

四1  正当の事由がないのに、同年七月三一日頃、大阪駅前において、Fと共同で氏名不詳の朝鮮人から一四年式拳銃二丁及び実包八〇発を買い受け、これを高松市まで携帯した上、そのうち一丁を同年八月二〇日頃まで同市松島町の自宅に隠匿して所持し

2  正当の事由がないのに、右三の犯行に際し、実包八発を装填した十四年式拳銃一丁を携帯所持し

たものである。

というのであり、これは、原第二審判決(原確定判決)が認定した犯罪事実である。

なお、本件公訴事実中には、被告人が、Bほか二名と共謀の上、昭和二一年七月二九日午後九時頃、高松専売局に侵入し、その製品工場において、同局保管の金鵄煙草三万二四〇〇本入り木箱二箱を窃取した、との事実も含まれていたが、第一審判決で、同事実を認めるに足りる証拠がないと判断されている。

第二  本件再審公判に至る経緯

被告人は、昭和二二年五月二日、本件各公訴事実について高松地方裁判所の公判に付されたが、捜査段階以来公判においても、本件各公訴事実中、前記二の1及び2の住居侵入及び殺人の事実(以下「榎井事件」という。)については全く関係がないとして、全面的に否認してきた。しかし、同裁判所は、同年一二月二四日、榎井事件を含め前記一ないし四の各公訴事実のとおりの事実を認定して被告人を無期懲役に処するとの判決を宣告した。これに対し、被告人は、榎井事件につき無罪を主張して控訴したが、高松高等裁判所は、やはり第一審と同様の事実を認定し、ただ量刑につき調査検討して、昭和二三年一一月九日、被告人を懲役一五年に処するとの判決(原第二審判決)を宣告した。被告人は、更に上告して榎井事件につき無罪を主張したが、最高裁判所第一小法廷は、昭和二四年四月二八日、上告棄却の判決を宣告し、原第二審判決が確定するに至り、被告人は、服役したものの、恩赦により減刑されて昭和三〇年五月仮出獄してから、榎井事件についての再審請求のために事件関係者及び当時の捜査官らの所在を探すなどの調査活動を続け、その結果、平成二年三月一九日、当裁判所に対し、原確定判決の榎井事件に関する部分につき被告人に対し無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したことを理由に、旧刑事訴訟法四八五条六号に基づいて再審請求をした。そして、当裁判所は、右請求を理由があるものと認め、平成五年一一月一日再審開始決定をし、上訴期間の経過により同決定が確定した(以上の事実は本件再審請求事件の記録によつて明らかである。)。

なお、本件各公訴事実については、昭和二二年法律第一二四号により削除される前の刑法五五条(連続犯)の適用があり、原確定判決は、榎井事件の住居侵入(前記公訴事実二の1)と前記公訴事実一の1及び三の各建造物侵入、同一の1及び2の各窃盗がそれぞれ連続犯であり、かつ榎井事件の住居侵入と殺人(同二の1、2)、同一の1の建造物侵入と窃盗がそれぞれ刑法五四条一項後段の牽連犯の関係にあつて、結局、以上は科刑上一罪であると認定しているので、榎井事件のみを対象とする本件再審は、科刑上一罪中の一部の罪について無罪とすべき明確な証拠を新たに発見したとするものではあるが(本件再審開始決定の理由中で、榎井事件が前記公訴事実一の1、2及び三の建造物侵入、窃盗と併合罪の関係にあるかのように説示したのは、誤りである。)、このような場合も、旧刑事訴訟法四八五条六号にいう無罪を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見したときに当たるものと解する。

第三  本件再審公判の審理

そうすると、本件再審公判の審理の対象は、直接的には本件各公訴事実のうち榎井事件の事実である。そして、本件は、現行刑事訴訟法施行前に公訴の提起があつた事件であつて、刑事訴訟法施行法二条により、旧刑事訴訟法及び日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律に従つて審理すべきものであるところ、旧刑事訴訟法五一一条によれば、再審開始の決定が確定したときは、同条所定の特別の場合を除くほか、その審級に従い更に審判すべきものとされており、本件再審は右の特別の場合には当たらないから、当裁判所は、高松地方裁判所の前記有罪判決に対し被告人が控訴を申し立てたことによる第二審として、新たに審判することになる。

ところで、右の新たな審判は、本来、従前の確定記録及び新たに取り調べた証拠によつて行われるべきものであるが、本件確定記録は、各審級の判決書を除き、既に廃棄されて現存しないので、榎井事件につき第一審及び原第二審で取り調べられた証拠自体を閲覧検討することができない。しかし、当公判で取り調べた第一審及び原第二審の各判決書謄本には、榎井事件につき有罪認定の用に供した証拠の標目だけでなくその内容もかなり詳細に記載されており、これは旧刑事訴訟法三六〇条一項の規定に基づく適式な理由説示であると考えられるので、右記載の標目・内容の証拠が本件確定記録中に存在したものと推認でき、また、右各判決書では触れられていないが、上告審の判決書に添付されている弁護人市原庄八及び被告人の各上告趣意書では、被告人に有利な証拠(反証)が少なからずあつたことが指摘されており、そのことは本件再審請求審で取り調べた証拠によつて裏付けられてもいるので、右指摘の証拠も本件確定記録中に存在したものとみて差し支えない。

そこで、これらと新たに取り調べた証拠により、榎井事件につき被告人が有罪か無罪かをあらためて判断することとする。

第四  第一審及び原第二審において榎井事件につき取り調べられた証拠並びに榎井事件の外形的事実

一1  原第二審判決は、榎井事件の有罪認定の証拠として、

(一) Bに対する予審判事の強制処分における訊問調書

(二) Bに対する予審第一回訊問調書

(三) 被告人に対する第二回予審訊問調書

(四) H子に対する検事の聴取書

(五) 第一審の現場における証人H子の訊問調書

(六) 原第二審の現場における証人H子に対する訊問調書

(七) 第一審の現場における証人Eに対する訊問調書

(八) 証人J子に対する予審判事の強制処分における訊問調書

(九) 証人Kに対する予審判事の強制処分における訊問調書

(一〇) 証人Lに対する予審判事の強制処分における訊問調書

(一一) Lに対する検事の聴取書

(一二) 第一審の現場における証人Mに対する訊問調書

(一三) Nに対する検事の聴取書

(一四) 予審判事の強制処分における検証調書

(一五) 第一審における検証調書

(一六) Dに対する医師岩崎〈漢字略〉介作成の鑑定書

を掲げ、それぞれの内容をかなり詳細に説示している。

また、第一審判決は、榎井事件の有罪認定の証拠として、右(一)ないし(五)、(七)ないし(九)及び(一二)ないし(一六)と、

(一七) 第一審第一回公判調書中のBの供述部分

(一八) 押収に係る実包弾体(証第一号)、薬莢(証第二号)、短刀の鞘(証第三号)、縄(証第四号)、パナマ帽(証第五号)

を掲げ、それぞれの内容の要旨を説示している。

なお、原第二審判決の説示によれば、右(一八)の各押収物のほか、もう一つのパナマ帽(証第六号)が押収されていたことが認められ、これは、関係証拠に照らし、本件につき被告人が身柄を拘束された当時、その自宅にあつたものであることが明らかである。

2  上告趣意書で指摘されている証拠の主なものは、

(一) Bの第一審第三回及び第四回公判における右1の(一)(二)(一七)の各調書の内容が虚偽である旨の供述並びに原第二審における同旨の証言

(二) J子の原第二審における右1の(八)の調書の内容が虚偽である旨の証言

(三) Lの原第二審における右1の(一〇)(一一)の調書・聴取書の内容が虚偽である旨の証言

(四) Nの原第二審における右1の(一三)の聴取書の内容が虚偽である旨の証言

(五) Oの第一審第三回公判における証第一号の実包弾体及び証第二号の薬莢が被告人の隠匿・携帯所持していた前記公訴事実四の各拳銃から発射されたものではない旨の証言並びに同旨のことが記載された香川県警部補則久久一作成の「鑑定の結果に就て」と題する書面

(六) Q、R及びSの第一審における被告人のアリバイを窺わせる各証言並びに右Sの原第二審における同旨の証言

(七) T及びUの第一審におけるBのアリバイを窺わせる各証言並びに右U及びBの原第二審における同旨の各証言

(八) Vの原第二審における短刀をBに交付したことはない旨の証言

(九) Fの被告人と一緒に行つてパナマ帽を買つたことはない旨の証言

(一〇) 現場に落ちていたパナマ帽(証第五号)の汗取りに吸収された汗についての血液型不明という検査結果

などである。

二  これらの証拠及び新たに取り調べた関係証拠を総合すると、榎井事件(二人組みの男がD方に侵入しそのうちの一人がDを射殺したという事件)に関する外形的事実として、次の各事実が認められ、捜査官らは、これらの事実を把握した上、被告人及びBを取り調べ、特にBを追及したものと考えられる。

1  事件現場のD方の前(南)には東西に通じている小道があり、その南側には高松専売局坂出出張所琴平煙草配給所(以下「琴平専売局」という。)があつた。そして、D方の西側には畑があり、その西方には右小道に沿つてE子方があつた。

2  D方の建物は、敷地の北寄りに、東から西へ、納屋(東の納屋)、母家(その西端部が玄関)、納屋(西の納屋)と順次並び、これらの建物の南側は六、七十坪もの表庭となつていて、その東南角部には便所があり、敷地の北端線及び西端線に沿つて土塀が築かれ、表庭南端(敷地南端)の小道との境界線には垣根があり、その境界線の中央部からかなり東寄りの便所に近い所で垣根が中断して、そこに表門があつた。なお、母家と垣根の距離は約四〇尺(約一二メートル)であつた。

3  E子方は、D方から七〇メートルから八〇メートル離れているが、両家の間は、畑と小道で建物など障害物がなく、見通しがよかつた。

4  事件発生当夜の現場は朧月夜の状態であり、E子は、自宅表で子供に小便をさせながら外を見ていて、前の小道を白い帽子を被つた男ともう一人の男の二人連れが通りD方の塀に姿を消したのを目撃した。

5  その後間もなく、夜警をしていた琴平専売局の監視員Iが、D方の表門の戸が開いているのを見つけてD方に注意し、就寝中であつた被害者とその妻H子がこれに気づいて母家の玄関口から外に出た。

6  被害者は、表庭を通つて表門へ行き、閉門した上、戸の内側の合わせ目を縄で縛つた。H子は、その間に、母家と西の納屋との間の入り込んだ所にうずくまつてかくれているような人影を見たので、その旨を玄関口に戻つた被害者に小声で伝えた。

7  H子は、いつたん家の中に入り時刻を確かめてから外へ一歩出たところ、被害者が鍬を振り上げて、白いパナマ帽を被り拳銃を突き出している男と向かい合っているのが目に入り、その男の後方にもう一人の男がいるように感じたが、その直後、拳銃が発射され、二人の男が急いで表門の方へ逃げるのを目撃した。そして、H子は、その二人の男が門の戸を開けるのに手間取つていたように思つたが、一人が西方へ逃げたのを目撃し、その直後に被害者が倒れているのを認めた。

8  その頃、E子は、D方の方で「パン」という音とそれに続いて「ガチャガチャ」という音がしたのを聞き、更に、自宅前の小道を西方へ走る足音と東方で犬が吠えているのを聞いた。そして、E子は、この足音等からして、一人の男は西に逃げ、もう一人の男は東へ逃げたと思つた。

9  被害者は銃器による心臓貫通創により即死し、その場に実包弾体(証第一号)と薬莢(証第二号)、表門付近に短刀の鞘(証第三号)と刃物で切断された縄(証第四号)、小道沿いの前記畑にパナマ帽(証第五号)が落ちていた(なお、右パナマ帽については、犯人の一人が白いパナマ帽を被つていたというH子の供述、目撃した二人連れの一人が白い帽子を被つていたというE子の供述、犯行の数時間後に捜査主任として遺留品を探しているうち畑でパナマ帽を発見したというMの供述などから、犯人の一人が落として行つたものであり、右縄については、前記のとおり被害者が門の合わせ目を縛つたのを犯人が逃げるときに短刀で切断したものであり、右短刀の鞘については、右縄の判断の際に犯人が落として行つたものであると推測される。)。

第五  榎井事件と被告人を結び付ける証拠の検討

一  関係証拠

被告人は、前記のとおり、捜査段階から一貫して榎井事件については全く身に覚えがないとして否認してきたので、本件全証拠中、榎井事件と被告人を結び付ける証拠は、第一審判決及び原第二審判決に掲げられている前記第四、一、1、(一)(二)及び(一七)の各調書記載のBの各供述(以下、これらを総合して「B自白」という。)、同(八)ないし(一一)及び(一三)の各調書・聴取書記載のJ子(被告人の内妻)、K(丸亀市の帽子店経営者)、L(被告人の兄)、N(被告人の友人)の各供述、同(一八)の各押収物、特に、証第三号の短刀の鞘と証第五号のパナマ帽に限られる。すなわち、その他の原第二審判決掲記の各証拠は、B自白と一致する限度でこれを支える関係にはあるけれども、それ自体から榎井事件と被告人を結び付けることはできない。そして、前記の上告趣意書で指摘されている各証拠は、逆に榎井事件が被告人の犯行でないことを示すものであるし、その他の当公判で新たに取り調べた各証拠中にも榎井事件が被告人の犯行であるとするに決め手となるほどのものはない。なお、右押収物も、それ自体から被告人が榎井事件の犯人であると窺わせるものではなく、この点に関してはB自白及び右J子らの各供述と相まつて証拠価値を有するものにすぎない。したがつて、榎井事件の公訴事実が認められるかどうかは、B自白及び右J子らの各供述の信用性如何にかかることになるので、以下この点について検討する。

二  B自白等の要旨

1  B自白の要旨は、「昭和二一年八月二〇日午後六時頃、被告人から、二、三日前に下見してきたが琴平専売局に煙草があるので盗みに行かないかと誘われ、これに応じて早速二人で出かけた。私は、黒のカッターシャツを着用し、短刀をバンドの内側に差し込んでいた。被告人は、白の半袖シャツを着用し、パナマ帽を被つていた。高松市の瓦町から電車で八時頃琴平に着き、遊廓の入口で店が閉まるまで遊んで時間待ちしようということになり、被告人と別々にひやかして歩き、一二時過ぎに警察署の側の橋で落ち合ち、二時前頃専売局の東側に出た。専売局の警戒が厳重らしい気配であつたので、ぶらぶらした後引き返して来たが、その時、被告人が煙草を盗んでも車がないからこの家にでも入らないかと言つたので、賛成した。そこは専売局倉庫の北側の農家らしい構えの家で、道に面した方の生垣に観音開きの門があつた。被告人が門の閂を外して二人で入り、かなり広い庭を母家の方へ歩いていると、東の道から足音が聞こえたので、母家の前を西に抜け丸太木を沢山積んであつた納屋口から一間ほど入つた所にうずくまつてかくれた。すると、夜回りらしい人が、母家の外から、表戸が開いているので閉めるようにと注意した。間もなく、その家の主人らしい男が出て門を閉めに行くのが足音でわかつた。続いて、下駄履きの女らしい足音がし、母家の表を東へ行つてすぐ引き返してきた。被告人と逃げる相談をしていたところ、その男に見つけられ、鍬をふりかぶつたその男と被告人が向かい合つた。私は、その男のことは被告人に任せ、あわてて門の方へ走り、門に体当たりをしたが、開かなかつた。門を見ると、合わせ目の付近を縄(証第四号)で縛つてあつたので、短刀を取り出して縄を切り戸を開けて飛び出した。その途端、拳銃の音が聞こえたので、被告人が拳銃を持つていたことを知つた。表の道を東へ一散に走つたが、そのとき犬に吠えつかれた。電車の線路に出て走つているうち、短刀の鞘(証第三号)をなくしていることに気づき、短刀の抜身は羽間駅との間の鉄橋の手前の田の中に投げ捨て、そこで被告人が来るのを待つたが、来なかつたので、西の方へ逃げたと思い、一人で帰つた。証第五号のパナマ帽は、折つてある型や色合いから、当夜被告人が被つていたものに違いないと思う。被告人は、丸亀でFにパナマ帽を買つてもらつたと言つていた。」というものである。

2(一)  J子の供述(前記第四、一、1、(八))の要旨は、「昭和二一年七月二〇日頃、丸亀の甲野病院から私達夫婦が退院しFと三人で高松へ帰ろうと丸亀駅に向かう途中、被告人、Fの二人の別れ、先に駅へ行つて待つていた。やがて二人が駅に来たが、被告人は白の新しいパナマ帽を被つていて、Fに買つてもらつたと言つた。被告人は汽車の中でパナマ帽の型を直していたが、私もその型どおり指で摘んで形が崩れないようにした。証第五号のパナマ帽は右の帽子に違いない。型に心覚えがあるので断定できる。」というものである。

(二)  Kの供述(同(九))の要旨は、「昭和二一年七月頃、証第五号のパナマ帽であつたかどうかわからないが、五〇円までの代金で特徴のある二人連れの客に売つたと思う。」というものである。

(三)  Lの供述(同(一〇)(一一))の要旨は、「被告人はパナマ帽を二個持つていた。一つは、証第六号の帽子で、昭和一九年夏かそれ以前から持つていた古いものである。もう一つは、証第五号のパナマ帽で、新しく、内側の7というサイズの点などから、被告人が、昭和二一年七月末に丸亀の甲野病院を退院した際、被つて帰つた帽子に違いないと思う。同年九月、家にあつた証第六号のパナマ帽を警察に差し出したが、その際、証第五号のパナマ帽は家になかつた。」というものである。

(四)  Nの供述(同(一三))の要旨は、「昭和二一年五月二一日午後一時頃、被告人に頼まれて、今日一日だけという約束で、自分が被つていた鳥打帽と被告人が被つていたパナマ帽を交換した。その日の夜、被告人が鳥打帽を友達に貸したと言つたので、早く取り戻すよう求め、自分はパナマ帽を被告人に返した。そのパナマ帽は証第六号の帽子に違いないと思う。」というものである。

3  なお、右J子らの各供述について付言するに、これらの供述にB自白のパナマ帽に関する部分を併せると、要するに、被告人は、パナマ帽を二つ所有していたのであつて、その一つは、被告人がNの帽子と一時交換したが、後に返還を受け自宅に置いてあつた証第六号の帽子であり、もう一つは、被告人が甲野病院を退院するとき丸亀市内のKの店でFに買つてもらつた証第五号の帽子であつて、それが犯行現場近くの畑に落ちていた、ということになる。

三  B自白の信用性の有無

1  供述内容の問題点

B自白は、一応、前記第四、二で認定した外形的事実におおむね符合するようではあるが、その内容を詳細に検討すると、以下に指摘するとおり、信用性を疑うべき問題点を内包している。

(一) B自白は、二、三日前に下見をしてきたという被告人に誘われて琴平専売局へ煙草を盗みに行つたところ、同所の警戒が厳重であつて、被告人が、煙草を盗んでもそれを運ぶ車もないから隣の被害者方で金品を盗むことにしようと言つたので、これに応じた、というのであるが、この供述は、車などの運搬手段を必要とするほどに大量の煙草を盗むことを企図して居住地から遠く離れた所へわざわざ出向きながら、その運搬手段を全く準備していなかつたということになつて、前後矛盾し、不合理である。また、被告人が下見をしたという榎井事件の二、三日前の時期から事件当夜にかけて琴平専売局の警備状況等に大きな変化があつたとは証拠上認められないので、わざわざ下見をしていながら、現場に行つて初めて警戒が厳しいのに気づき、にわかに様子の分からない隣の被害者方での侵入窃盗にきりかえたということも、唐突であつて、たやすく首肯できない。

(二) B自白では、犯行前に狭い地域の琴平の遊廓街で、約四時間にもわたつて、登楼もせずにただひやかして回つたというのであり、また、その後さほどの道のりではない(当公判で取り調べた弁護人松浦明治作成の報告書によれば一キロメートル足らずの距離にすぎない。)にもかかわらず琴平専売局に到着するのに約二時間を要したことにもなるが、その間の行動の経過について具体的な説明がなく、これらの点も不自然である。

三  Bは、事件当時、自分は黒シャツ、被告人は白シャツを着用していたと断定的に供述しているが、事件発生の直前に被害者方の近くで二人連れの男を目撃したE子は、男らのシャツは二人とも白かつたように思うと供述しているところ(前記第四、一、1、(七)の調書、当公判で取り調べた本件再審請求審における同人に対する証人尋問調書)、右E子の供述によれば、その目撃した二人連れが事件の犯人である可能性があり、そうすると、B自白にいう同人及び被告人の着衣と右E子の目撃した二人連れの着衣の相違は重大である。

(四) B自白では、Bは、拳銃が発射される前に、被害者と向かい合つている被告人を置いて逃げ、表門に体当たりをした上、戸の合わせ目を縛つてあつた縄を切つて外に飛び出し、その時に拳銃が発射されたことになる。ところが、犯行現場に居合わせたH子は、被害者が拳銃を持つた男と向かい合つているとき、その男の後方にもう一人の男がいるように感じ、拳銃の音がしてから二人が表門の方に逃げ、表門の戸を開けるのに手間取つているようであつた旨、捜査、第一審及び原第二審を通じ一貫して供述している(前記第四、一、1(四)ないし(六)の聴取書及び各調書)。このB自白は、H子の右供述と明らかに食い違つており、前記E子も、「パン」という音がしてから「ガチャガチャ」という音がした旨供述していることに徴すると、B自白の右供述の真実性を疑わざるを得ない。

(五) Bは、縄を切つた短刀の抜身を逃走中に田の中に捨てたと自白しているが、捨てたという場所を供述しているにもかかわらず、それが発見されていない。しかも、Bは、右短刀はVから貰つたものであると自白していたが、同人は、これを否定する証言をしている(前記第四、一、2、(八))。このB自白の裏付けの欠如や他の証言との食い違いもたやすく軽視できない。

(六) 更に、本件全証拠に照らしても、B自白には、その供述がなければ判明しなかつたようないわゆる秘密暴露の供述といえるものが認められない。

2 Bが自白するに至つた経過とその後の状況

更に、B自白の形成経緯についても検討するに、当公判で取り調べた本件再審請求権におけるBに対する証人尋問調書(弁護人請求番号七〇、七一)、Bの各手紙(同三、四)及び「捜査状況報告」と題する書面の謄本(同六三の一〇)を総合すると、

(一) Bは、昭和二一年八月三〇日、当時の行政執行法に基づく行政検束として高松警察署に身柄を拘束され、榎井事件以外の窃盗等事件を自白したが、同年一〇月初め頃、琴平警察署に身柄を移され、その一〇日か二週間位後から、榎井事件の捜査責任者となつたC警部補の取調べを受けるようになり、榎井事件について追及された。これに対し、Bは、根拠を示して榎井事件と関係がないことを主張したが、C警部補は、聞き入れず、Bを更に厳しく追及した。

(二) Bに対する取調べは、二、三日ごとであつたり、連日にわたることもあつて、毎回、午後一〇時頃から始まり、翌日午前一時三〇分ないし二時頃まで行われ、三時頃に及ぶこともあつた。Bは、取調べの時間帯に空腹を覚え、寒気も感じたが、これを堪えて否認を続けていた。

(三) ところが、同年一二月頃、C警部補は、Bに対し、「Aはお前と一緒にやつたと自白しているぞ」「J子もHとお前がやつたと話しているぞ」などと言い、更に、「現場に落ちていた弾とAが持つていた拳銃の線条痕が一致した」とも言つた上、「お前は一緒に行つただけで何もしていないし、罪も軽いんだからすぐ帰れる」と、殺人については責任はなく住居侵入だけの責任である旨を言つて、自白を迫つた。

(四) Bは、このような取調べを受けているうち、次第に精神的に参つてしまい、前記のとおり、C警部補から、被告人が自白した、線条痕が一致したと言われたことと、被告人から拳銃を買つたと聞いたことがあつたし、高松専売局へ侵入した際に被告人が拳銃らしいものを持つていたようでもあつたことから、被告人が犯行に及んだものと信じるに至り、被告人がほかの誰かと一緒に犯行に及んだが義理などでその共犯者の名前を出せないため、自分の名前を出したのだろうと考えた。それで、Bは、一時でも早く釈放されたいという気持ちと被告人の自白に合わせてその共犯者の身代わりになつてやろうという気持ちから、榎井事件の犯行時に被告人の側にいたと嘘を言うことにした。

(五) Bは、このような経緯でC警部補に対して自白したが、それは、「入つたとき夜回りが来ただろう」と問われて「はい」と答え、「Aと被害者とが差し向かいになつていたとき横をすり抜けて逃げたのだろう」と問われて「はい」と答え、「縄を切つて逃げただろう」と問われて「はい」と答え、「犬に吠えつかれただろう」と問われて「はい、吠えました」と答える、というような調子であり、事件現場に短刀の鞘が落ちていたこと、被害者の家は門が観音開きであり庭が広いこと、納屋の庇の下に丸太木が沢山あることなどは、取調べ中に教えられていたのをなぞつて言つたものであつた。また、Bは、短刀について、呉市のVから貰つたものであり逃げるとき捨てた旨自白したが、これは、Vの名前を出しても警察がわざわざ呉市まで行つて同人に確認することはないだろうし、捨てたと言えば捜し出すことは困難だろうという単純な思いつきからであつた。

(六) Bは、その後、D’検事の取調べを受けた際、いつたん否認したが、同検事から、今更そんなことを言つても仕方がない、このまま行けば刑は軽いし出所も早いのだから、素直に白状した方がいいではないか、という趣旨のことを言われた上、C警部補から否認したことを咎められたので、自白を維持して早く釈放してもらうことにしようと考え直して、同検事にも自白し、更に、予審判事の取調べの際には、早く釈放されたいという気持ちと、否認できるような雰囲気ではないと思つたことから、予審判事がC警部補及びD’検事作成の自白関係書類を読みながら聞いてきたことをすべて肯定して自白を維持した。

(七) Bは、第一審第一回公判においても(なお、Bは榎井事件につき前記公訴事実二の1の住居侵入についてのみ起訴された。)、保釈や執行猶予を期待して、榎井事件につき従前の自白にそつて供述したところ、被告人が榎井事件を全面的に否認したため驚いた。そして、Bは、当初は被告人の否認に疑問を抱いたが、被告人がその後も堂々とした態度で否認を続けたので、そういう態度をとれるのはやはり犯行に及んでいないからであろうと考えるようになり、また、犯行現場に遺留されていた弾と被告人の所持していた拳銃が一致しないということを法廷で聞き、C警部補の言つたことが嘘とわかつたので、第一審第三回公判において、裁判官に対し、「Aはやつていない」と叫び、以来、榎井事件につき否認するに至つた。

以上のとおり認められる。右認定の一連の事実は、ほとんど前記のBの証人尋問調書記載の供述にそつたものであるが、その供述の全体及び前記のBの各手紙に照らすと、その供述の信用性はあながち否定できず、これに反する当公判で取り調べた本件再審請求審におけるCに対する証人尋問調書(検察官請求番号三、弁護人請求番号七八)の供述部分は信用できない。

3 結論

以上検討したところに徴すると、B自白は、その内容及び供述の経緯の双方からみて、虚偽の供述である疑いが濃厚で到底信用できないというべきである。

四  前記のパナマ帽に関するJ子らの各供述の信用性の有無

1  右各供述のあいまい性

被告人は、パナマ帽を二つ持つていたこと及びその一つはKの店で買つたものであることを隠さずに認め、Kの店へはJ子と一緒に行つて買つたが、それは自宅に置いてあつた証第六号の帽子であり、もう一つはNの帽子と交換したままで返してもらつていない、と主張しているところ、前記のJ子、L及びBの各供述は、色合い、折りの型或いは7というサイズを根拠として榎井事件の現場付近に落ちていた証第五号のパナマ帽が被告人の被つていたものに相違ないというのであるが、右の識別根拠がいずれも個別的な特徴性に乏しい上、同人らは、結局、公判において、右供述は警察に強制されたものであるとしてこれを翻している(前記第四、一、2、(一)ないし(三)。なお、Lは、本件再審請求権においても、右パナマ帽が被告人のものではないと証言している〈当公判で取り調べた弁護人請求番号七四の証人尋問調書〉。)。また、Nの交換したパナマ帽を被告人に返したとの前記供述についても、Nは、公判において、右供述は自分に榎井事件の嫌疑がかけられていたために述べた虚言であるとしてこれを翻している(同(四))。更に、Kの供述は、二人連れで来たFにパナマ帽を売つたと思うとはいうものの、それが証第五号のパナマ帽であつたかどうかはわからないというのであり、一方、当公判で取り調べた重要犯罪端緒録(弁護人請求番号二)及び前記のCに対する証人尋問調書によれば、Kは、刑事に対し、パナマ帽を売つた相手は、やくざ風の二〇歳位の男で、玄人上がり風の女を連れており、甲野病院に入院しているような話をしていた旨供述したことが認められるし、Fは、パナマ帽を被告人に買い与えたことはないと証言しているのであつて(前記第四、一、2、(九))、前記のJ子、L、N及びKの各供述は、いずれも甚だあいまいである。

2  血液型に関する証拠との関係からの右各供述の信用性の検討

当公判で取り調べた井尻厳作成の検査結果報告書、船尾忠孝作成の意見書及び回答書、長崎医学会雑誌第二九巻第八号中の石井康允の論文など、血液型に関する証拠(弁護人請求番号六ないし一六)によれば、昭和二一年ないし二三年当時の我が国の法医学の水準で、帽子の汗取りに吸収された汗から血液の型質が分泌型か非分泌型かを判定することが可能であつたこと、被告人の血液型はA型の分泌型であること、血液が非分泌型の人の汗からは、A、B、Oの血液型が全く証明されないこともあることが認められる。

右事実からすると、証第五号のパナマ帽の汗取りに吸収された汗の検査でA、B、Oの血液型が不明であつたのであるから(これは本件の審理を通じて明らかである。)、右パナマ帽を着用していたのは、血液が非分泌型の人であつて分泌型である被告人ではなかつたということも考えられ、この点からも、前記のJ子らの各供述の信用性を疑うべき余地がある。

3  結論

以上の次第で、証第五号のパナマ帽が被告人の所有であるなどとする前記のJ子らの各供述は、到底信用できないというべきである。

五  その他の証拠等の検討

榎井事件の現場で発見された証第一号の実包弾体及び証第二号の薬莢が、被告人の隠匿・携帯所持していた前記公訴事実四の各拳銃から発射されたものでないことは、証拠(前記第四、一、2、(五))に照らし、また、本件の審理を通じて明白であるところ、被告人は、大阪駅前で買い受けた拳銃二丁のうち、一丁は前記公訴事実四の1のとおり自宅に隠匿し、もう一丁は同2のとおり高松専売局に侵入した際に携帯していたのであつて、そのほかに拳銃を所持したことはないと主張しており、これを排斥できる証拠はないから、その犯行に使用された拳銃の関係からも榎井事件と被告人を結び付けることはできない。

第六  榎井事件についての審判

以上に検討したとおりで、結局、榎井事件が被告人の犯行であると認めるに足りる証拠はなく、被告人の一貫した榎井事件についての否認の態度にも照らすと、榎井事件については、被告人は関与していないと認めるべきで無罪である。

ところで、榎井事件の住居侵入、殺人は、前記原確定判決の認定と同様に前記公訴事実一及び三の各建造物侵入、窃盗と併せて科刑上一罪として起訴されたものであるから、本来、主文において無罪を言い渡すべきではない。しかしながら、前記のとおり本件再審公判の審判の対象が直接的にはもつぱら榎井事件であつて、榎井事件について被告人の有罪、無罪を認定することが本件再審公判の主たる目的であることにかんがみると、本件においては、榎井事件について被告人は無罪であることを明確に確認する意味で主文においてその旨宣言するのが相当と考えられるから、特に無罪の言渡しをすることとする。

第七  榎井事件以外の原第二審判決で確定した各罪についての刑の量定

原第二審判決(原確定判決)は、榎井事件と前記公訴事実一にそう建造物侵入及び各窃盗、同三にそう建造物侵入を科刑上一罪とし、これと同四にそう各拳銃等不法所持(連続犯)を併合罪として、以上につき懲役一五年の単一の刑を宣告しているので、同判決で有罪が確定している榎井事件以外の右各罪につき、あらためて次のとおり刑を量定する。

有罪確定の右各罪につき、右判決の掲げる関係法令を引用し(ただし、各建造物侵入及び窃盗の罪については一罪として最も重い前記公訴事実一の1の窃盗罪の刑で処断し、併合罪加重については刑法四七条ただし書の制限に従つて窃盗罪の刑に加重することとなり、結局、処断刑は一三年以下の懲役となる。)、右各罪もたやすく軽視できないものではあるけれども、本件再審公判で無罪と認定された住居侵入、殺人の事案に比べると、罪質、犯情において格段に軽いものであることのほか、被告人が、犯行当時、若年であり、前科もなかつたこと、殺人罪などという重罪の濡れ衣を着せられて行政検束及び勾留により長期間にわたり身柄を拘束された上、誤つた事実認定により無期懲役という重刑を宣言され控訴を余儀なくされて、甚大な苦痛を受けたことなどの諸般の情状を考慮した上、処断刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入し、右判決当時の刑法二五条を適用して同判決確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。なお、原審及び当審における訴訟費用は、榎井事件に関して生じたものと認められ、同事件については刑の言渡しをしないから、その費用は被告人に負担させない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 米田俊昭 裁判官 山脇正道 裁判官 湯川哲嗣)

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